2012年9月24日月曜日

遺骨収集。

ソロモンの首都があるガダルカナル島は、
言わずと知れた太平洋戦争の激戦地です。
私の住むウエスタン州も戦争の名残がたくさん残る土地でもあります。
ギゾ島にも数百人の日本兵が上陸したらしい。

日本兵に教えてもらった唄が世代を越えて受け継がれていたり、
(もはや歌詞が日本語でなくなってるものもあるけど。)
日本兵のことをモチーフにしたピジン語の唄があったり、
ギゾ島周辺には、日本の戦艦、アメリカ軍の飛行機などが沈んでいたりもします。
もちろんガダルカナル島にも、野外戦争博物館があって、
戦車や飛行機がたくさん。

ガダルカナル島には、今だ1万人近くの日本兵が眠っていると言われています。
戦いでというより、マラリアや餓死などでたくさんの人が亡くなったそうです。
ガダルカナル島を略してガ島と呼ばれていたそうですが、
餓島なんていう別名もあるそうです。
アートフェスティバルの会場作りの時に、遺骨が偶然出てきたり、
ソロモン人が畑仕事をしている時に見つけたり、
開発の進んでいないソロモンならでの発見方法です。

今でも、ご遺族の方などが、毎年遺骨収集のため、ソロモンを訪れています。
ご遺族の方も今では、お歳を召されていて、
実際の収集作業は難しくなってきている現実があります。

8月の後半のことですが、
お寺の住職さんが主催している遺骨収集に参加してきました。
みなさんは、完全ボランティアです。
ソロモンまでの旅費・滞在費・調査費など、すべて自腹。
遺骨収集にかけるそのまっすぐな情熱には、あっぱれです。


戦争時代の記録が残されていて、場所の目星は少しはあります。
攻撃ルート、状況、みなさん、詳しいこと。
ソロモンで戦争が本当にあったのだということを改めて実感するとともに、
自分の無知さが恥ずかしくなりました。

場所の目星はついていると言っても、60年以上前のことだし、
このあたり、という大雑把なもの。
捜索は簡単ではありません。
想像してください、8畳間の中に1つご遺体があるとしても、
それを掘り出すのに、ピンポイントで見つけるなんて、
難しいでしょ。

金属探知機を使い、反応のあるところを掘ったり(遺留品に反応する。)、
寄せられた情報を元に掘ったり。
びっくりすることに、飯盒や医薬品の瓶が出てくることもあります。
銃には、菊のマークも残っていました。


張り紙をして、魂に呼びかけたりもします。


ご遺骨が見えている場所があるということで、そこを掘り出す現場に立ち会いました。
メイン道路のすぐ脇、深さ30~50cmのごぐ浅い場所です。


上の写真の場所から、頭蓋骨、腕、骨盤、足、お一人分は、フルボディで出てきました。
合計お二人分のご遺骨を収集。


土地の形態、時間の都合上、全部を掘り起こすことができなかったのは残念でした。
海の近くで、もしかしたら、もうちょっとで船に乗って日本へ帰れたかもしれない場所。
体の体勢から、死後埋められたわけではなくて、やむなく命を落として、
そのままだったのだろうということ。立派な歯が出てきて、若い青年であろうということ。
いろいろなことを予測しながら、丁寧に掘り起こしました。

同行していたソロモン人も遺骨収集参加ははじめて。
彼らも、丁寧に作業してくれている姿に、胸を打たれました。

遺骨を目の前にしても、不思議と恐いとか気持ち悪いとか、
そういう感情は一切ありませんでした。
うまく言葉にできないのが悔しいですが、
ちゃんと日本に帰してあげたい!! そういう想いが強かった。

ご遺骨を掘り出す時には、不思議と蝶々がやってきます。
魂の遣いなのか、その方ご本人なのか、
それはわかりません。
だけど、蝶々が何らかの意味があるものだと、感じられるようなタイミングで近寄ってきます。

ピジン語の通訳みたいな役割もしていたので、
その土地の持ち主との話し合いにも立ち会う場面がいくつかありました。
ちょっと奥に入ったら、ジャングルのようなところばかりですが、
ちゃんと自分たちの土地区分があって、勝手に入ることはできません。
交渉次第なのですが、様々な団体が行き来し、
お金で解決することが一般化されている今、びっくりする額が要求されてきます。
ソロモン人がお金をせびっているようにも見受けられますが、
忘れてはいけないのは、そういうシステム(というか、感覚)を定着させたのは、
先進国の人々であるということです。

だけど、時には、心無いと思うようなこともあります。
集団埋葬地があるという情報で、ある村を訪れました。
フルボディでのご遺体を見つけて、それをまた埋めてありすぐに掘り出せると。
場所の特定もできているし、その場所で何人かの日本兵が亡くなったという
資料まで持っている。
あちらはとても強気でした。
入村料や労働代など、他での相場を伝えると、
『他のところは、どこにあるかわからない所を掘っていて、その価格。
こっちは、確実にあるんだ。』を繰り返しアピール。
交渉は、まぁ落ち着いたのだけど、
結局、ご遺体の場所はわからないままでした。
限られた時間の中での活動のため、
この情報が全くの嘘であったのかどうかは、わかりません。
だけど、欲深さをこんなにもアピールされたことは、
私にとっては、なんとも言えない気持ちでした。

私たちJOCVは、給料をもらっているわけではないため、
JOCVボランティアは、お金をあまり持っていないと思われています。
(みんなかはわからないけど、私はそう思われてる。)
だから、普段の生活で、こういうお金の吊り上げに出会うことはあまりありません。
そういう意味で、今回の交渉時の通訳は、いろいろなことを考えさせられる
良い機会ではありました。

焼骨式。
日本に遺骨を持って帰る場合は、検疫の問題から、
焼骨しなければならないそうです。
この2週間で見つかったご遺骨は7柱。
その他、78柱のご遺骨が日本大使館に安置されていて、
合計85柱のご遺骨が、今回、焼骨されました。
お坊さんが主催だったため、お経も。




丁寧にご遺骨だけを集めて、無事、日本へ戻られました。


ソロモンでは、毎年3月に定期的な焼骨式を行い、日本へ帰還されているそうです。
ちなみに、今年の3月は約240柱が日本に帰還されたそう。
そして今回が85柱。
1万人と思うと、少ない数かもしれないけれど、
それでも、60年以上経過してもこうして、見つかるのは、
やっぱり日本に帰還したいと願っているからではないかと思ってしまう。

日本国内でも、沖縄や硫黄島で、現在も遺骨収集が続けられているそう。

政府の感覚とご遺族や自主的に遺骨収集に関わる人々の感覚の違い。
そんなことも目の当たりにしました。
想いを受け継ぐ人というのは、どの分野にもいるものです。
何を持って、誰もが納得できる形なのかは、わかりません。
だけど、自分の想いには、逆らいたくないなと思いました。

遺骨収集の平日は、キャンプをして過ごしました。
そんな中で、古き(良くない!!)日本の感覚を感じることもあり、
とても胃が痛くなったりもしました。
ヘビースモーカーが多かったので、個人的には、それも辛かった。

JOCVは、いかに自ら動くかを訓練されているのかを知りました。
自分がいかにソロモン人寄りにいるかがよくわかりました。
のんびりソロモンタイムとか言うけど、日本人もそんなに変わらないなぁと思いました。
揃いの制服を着ていて、自分が何者かわからなくなったりもしました。
(いつもは、フレンドリーなソロモン人が最初は挨拶してくれなかった。)


日本大使館、大使公邸宅でご飯をごちそうになるという貴重なことも。
その時の正装は、ネクタイをつけます。


私たちの行動は、仏教に準ずるものが多いのだということを実感した日々でもありました。
いろいろ感じることがあったり、体調も悪くなったりしたけど、
とても貴重な経験をさせてもらったと思います。

興味のある方は、遺骨収集団体とかでググってみてください。

2 件のコメント:

  1. 「お寺の住職さんが主催している」その制服グループに参加していたJunです。集団埋葬地があるという情報で行った村では、そんなやりとりがあったんですね。概略は聞いていましたが、うーん、ハッキリ要求してくるんですね。
     遺骨がたくさん保管されていたのは日本大使館ではありません。大使館には十数体の遺骨しか保管するスペースはありません。洗骨班に入ったので、保管されている所まで厚労省の人たちと車で受け取りに行きましたが、ホニアラ市内の民家でした。
     ホテル従業員のFさんの家で、日本遺族会と20年以上の交流があるそうです。ホームページに写真を掲載してあります。http://www.jf6yje.com/~salaku/weblog/index.php?itemid=1916
     Fさんは、遺骨がある場所の情報収集にも尽力していて、ガ島以外の島まで出かけてパンフレットやビラを配っているそうです。それが功を奏して、それだけの数の遺骨が収骨できたのだと思います。
     なぜFさんがそこまでしているかというと、これまでの日本人との交流があるからです。東京に3ヵ月滞在してコンピューターの勉強ができたことや、青年の船に参加したことを喜んでいました。遺族会が援助したと思います。彼の家には、日本からの研究者がホームステイすることもあるようです。
     リリアウ村長の場合もそうですが、そうした長い交流で培った信頼関係がないと、正確な遺骨情報の収集はできないと思いました。一刻も早く英霊の帰還を、というような気持ちでいると、日本的な秩序をむやみに持ち込んで現地の人たちと摩擦を起こしかねないと感じました。
     かえって、遺骨はそのままにして土に返してあげた方がいいのではないかとまで思いました。遺骨の状態がどんなだったかはご覧になったでしょう?
     ぼくは制服が好きで参加したわけではなく、現地が見たかったから参加しました。何が起きたかを、現地でなるべく正確に知りたかったからです。参加者には宗教的な人が多いようで、ぼくみたいなのは少なかったようです。
     遺骨保管場所は、外務省関係の家でもっと広いところがあったので、そこに保管したらどうかとも思いましたが、日本の超厳格な規律にむりやり従わされて戦場に送り込まれて亡くなった人たちですから、ソロモンの人たちの家のほうが、ゆっくりできていいかもしれません。
     

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  2. ☆JUNさん
    コメントありがとうございます。
    同じグループに参加していても、見えることは違いますね。
    それぞれ参加意思も違うでしょうし。
    私も、現地をちゃんと見たかったという想いが強かったです。
    いろいろ感じることはありましたが、
    参加できて良かった!!と思ってます。

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